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今井 庸二先生『 糖尿病対策と歯科への期待』

我が国の国民医療費総額は2005〜2009年で33.1→36兆円と毎年増加を続けており、今後も毎年約1兆円ずつ増加して2020年には47.2兆円に達する見通しであると厚生労働省は試算している。少子高齢化が進むなかで国民皆保険制度が今後とも維持できるのだろうかと思う。そこで、この医療費の抑制に歯科も何らかの貢献をしてほしいという期待を込めて今回のコラムとなった。同期間で総額同様に毎年増加しているのは、一般診療費の25→26.7兆円、薬局調剤費の4.5→5.8兆円であり、歯科診療費は2.5兆円前後で推移している。おもな病気の医療費をみると、増加しているのは、癌3.0→3.4兆円、筋骨格系疾患1.7→2兆円であり、高血圧性疾患1.9兆円、脳血管疾患1.7兆円、糖尿病1.1兆円前後で推移している。これ以外に高額療養費でまかなわれている人工透析の費用があり、それは2009年で約1.4兆円とされている。透析患者数は上記期間で25.8→29万人と毎年約1万人ずつ増加している。患者当たりの年間医療費は約500万円とされていることから、透析のみで毎年500億円の増加となる。この透析治療を始めるに至る病因の約半数近くが糖尿病腎症とされており、糖尿病対策の重要性が示唆され、これに歯科も関与してほしいというのが筆者の願いである。

糖尿病と歯周病との間には相互関係のあることはかなり知られているといってよいであろう。すなわち、端的にいえば、"糖尿病の人は歯周病にかかりやすく、歯周病の人は糖尿病が重症化しやすい"という関係である。糖尿病患者は、そうでない人に比べて、中等度あるいは重度の歯周病になる頻度が高く、またその進行が速く治るのも遅い。一方、糖尿病のある歯周病患者では、歯周治療で血糖値が改善するという報告もあることから、歯周病は糖尿病を悪化させる要因の一つである可能性が高いと考えられている。糖尿病の合併症として、歯周病だけではなく、腎症、網膜症、神経障害、大血管障害、細小血管障害などが挙げられており、それら合併症はさらにさまざまな深刻な病気に発展する可能性がきわめて高いとされている。一方、歯周病は、糖尿病だけでなく、心血管系疾患、呼吸器感染症、早産・低体重児出産、骨粗鬆症、それと最近ではメタボリックシンドロームなど、さまざまな全身疾患と関連性があるといわれている。

我が国の糖尿病患者数は2008年で約240万人であるが、2007年の推算によると20歳以上で糖尿病が強く疑われる人(ヘモグロビンA1c 値6.1% 以上あるいは現在糖尿病の治療を受けている人)約890万人、その可能性を否定できない人(HbA1c値5.6〜6.1%の人)約1,320万人とされている。さらに、2010年での30歳以上で糖尿病が強く疑われる人を筆者が推算したところ1,000万人強となった。こうしたことからすると、糖尿病が強く疑われつつも治療を受けていない状況が想像され、糖尿病発症,重症化する前に手立てを講ずることは、合併症の予防、医療費抑制に有効と考えられる。それにはまず疑わしい人のスクリーニングが重要であるが、その役割を歯科に期待したいのである。

2010年の医療施設数は、一般病院7.6千、一般診療所99.8千、歯科診療所68.4千であり、そこへ国民は通院することになる。同年の通院状況調査によると、高血圧症での通院者数が圧倒的に多く、次いでその半数程度が歯の病気、それよりやや少ないのが糖尿病と腰痛症である。このように多い歯科の診療所(ちなみに、同時期のコンビニエンスストア数は43.3千店舗)と通院者を考えると、国民の保健、糖尿病予防への歯科の貢献を期待したくなるのである。

糖尿病は、発症予防、早期発見・治療、合併症の予防が重要であることから、それら糖尿病対策を推進するため、2005年に日本医師会、日本糖尿病学会、日本糖尿病協会により日本糖尿病対策推進会議が設立され、2010年には日本歯科医師会も幹事団体として加わり、歯科界も協力する体制となった。日本糖尿病協会は、糖尿病の予防、治療の向上を目指し、また会員相互の理解を深め、国民の健康増進に寄与することを目標に活動している団体であるが(会員数約10万人)、日本歯科医師会との連携を強化し、糖尿病・歯周病の予防・治療に資するため、歯科医師登録医制度を設けている(2010年1月の登録医数約5千名)。日本歯科医師会は今のところ積極的な対応はしていないようであるが、東京都歯科医師会では、2009年から歯科保健活動の一環として「歯周病と糖尿病」のかかわりに関する取組みを行っており、本年3月には医科と歯科との地域医療連携を目指して糖尿病予防フォーラムを開催している。また、同会編集の「お口のケアが全身をまもる―歯周病と糖尿病の不思議な関係―」なる8頁の冊子が2010年に東京都福祉保健局から発行されている。このように、歯周病と糖尿病の観点から、歯科界も市民の保健にかかわり始めた様子をうかがうことができる。2011年8月施行された「歯科口腔保健の推進に関する法律」の第4条(歯科医師等の責務)には、歯科医師等は"医師その他歯科医療等業務に関連する業務に従事する者との緊密な連携を図りつつ、適切にその業務を行う" との記載がある。このような法律内容を踏まえれば、歯科口腔保健の対象として、歯周病・糖尿病に関して医師との連携を図りつつ歯科医師も関与することが望まれているといえよう。

歯科で糖尿病対策への協力として可能なのは、前糖尿病や糖尿病と診断されていないハイリスク患者をスクリーニングし、医師の診断・治療を受けるよう勧めることである。歯科では実際に何ができるだろうか?歯科でのハイリスク患者のスクリーニングに関し、指の穿刺採血と血糖値測定器によるその場での血糖値測定を行い、それに対して歯科医および患者がどのように考えているかアンケート調査した結果が今月のJADA143巻3号に載っている。それによれば、この血糖値測定に対して、大部分の歯科医は有益で日常的に行う価値があり、測定に要する時間(2〜5分)や費用はほとんど問題にはならないとみなし、患者も80%以上がよいアイディアと考え、62%はこの測定を行ってもらえる歯科医をほかの人にも薦めたいという。

歯周診査結果のみでもかなりスクリーニングに役立つという、Journal of Dental Research2011年7号掲載の報告も紹介しておこう。これまで前糖尿病あるいは糖尿病と診断されたことがなく、自己申告で糖尿病のリスク因子(糖尿病家族歴、高血圧、高コレステロール、肥満)が一つ以上ある歯科受診者を対象にして、喪失歯数、各歯6か所でのプロービング深さ、プロービング時の出血を診査、指の穿刺採血液を卓上型分析器によりその場でHbA1cを測定、さらに別の日に空腹時血糖値を測定した。異常な空腹時血糖値を示した人の割合は、前糖尿病群(100〜125 mg/dL)32%、糖尿病群(126 mg/dL以上)4%であり、このデータをもとに解析した。5 mm以上の深いポケットが26%以上あるいは4本以上喪失歯があると73%、それにHbA1c 5.7%以上という条件を加えると92%が高血糖症例と識別できた。こうした結果から、歯周診査を含む簡単なスクリーニングを行うことにより、歯科医は患者が気付いていない糖尿病や前糖尿病を見つけ、医師から適切なケアを受けるよう勧める役割を果たせる可能性があるとしている。

J Dent ResのようにHbA1cを測定することは開業医にとって現実的ではないとしても、JADAでのアイディアとJ Dent Resの歯周診査指標を用いれば、スクリーニングは容易に行えるであろう。JADAのような血糖値測定は、現在わが国でも自己測定による血糖管理の手段として利用している人も少なからずいるであろう。歯科医院でも、市販されている血糖値測定器(1万円前後)があれば、消耗品として1回分の穿刺針とチップ(センサー)(150〜200円)を使えば簡単に簡易測定ができ、スクリーニングには事足りると思われる。将来的には、歯科でのスクリーニングの結果として生ずる医療費抑制の成果は、歯科での保険診療報酬に反映されるべきであるが、当面は歯周診査結果が怪しい人には有料で血糖値測定を勧めるのがよいのではないかと思う。また、たとえ歯周診査を受けなくとも、通院ついでに血糖値を測定してもらえるとしたら(もっとも、医療機関での血圧の自己測定のように、待ち時間にでも患者自身で測定すればよいことでもある)、それは患者にとってありがたいことであろう。待合室に歯周病と糖尿病のかかわりに関する啓発ポスターを掲示し、血糖値測定を試行してもらうことは重要な歯科保健活動であり、ぜひ実行を期待したい。

追記:ここで記されている数字のほとんどは、厚生労働省が公表している国民医療費の概況、患者調査の概況、国民健康・栄養調査、医療施設調査、国民生活基礎調査に基づいている。

2012年3月29日