しつけのナゾ


知育を含めた育児の問題は、心理学や教育学など人文科学分野で語られることが多かった。私見では、脳科学や人類化学という自然科学の分野、つまり生物学を踏まえることによって、少なくとも基礎的な議論ができる。ここで改めてこのことを再確認したい。

知性も感情も、そして人格も結局は脳の活動「脳力」である。教育とは脳力を豊かにはぐくむことに他ならない。また私たち人類は、生物進化の産物である。形態のみならず心や行動に人類進化の歴史が深く刻印されている。だから、人類進化の特徴を踏まえた教育があってしかるべきなのである。

脳科学と進化学を総合した観点から育児を議論する――それこそが、人類の本質を踏まえた、基礎的な教育論になり得るはずだ。

例えば、脳科学の観点からすると、生後10歳くらいまでの幼少期が脳力を伸ばす上で最も重要な期間になる。幼少期で脳力は著しく発達し、この期間の教育が生涯にわたって多大な影響をもたらすからだ。そのため、10歳くらいまでに適切な教育を集中して行う必要がある、という議論になる。

良い例が、外国語を含めた言語の教育だ。10歳くらいまでの言語環境が不適切だと、生涯にわたり言語をうまく扱えなくなってしまう。また、幼少期に2ヵ国語(例えば日本語と英語)の環境に育つと、どちらの言葉も母国語のように理解、会話するようになる。

このことは、脳の発達から確認されている。幼少期に2ヵ国語の環境で育つと、言葉を発したり文章を構成する機能をつかさどる脳部位が、2ヵ国語を同じように扱うよう発達する。しかし、幼少期を過ぎて(例えば中学生になって)から第2言語を習得すると、その言語用の小さな区画が新しくできる。幼少期の言語環境によって脳レベルでの違いが出来てしまうのだ。もし真のバイリンガルに育てたければ、中学生になってからではなく、幼少期にそれなりの言語教育をすべき、ということになる。

同様なことは他の脳力にも言える。言語や数学はもちろん、音楽などの芸術、スポーツも結局は脳力である。言語と同様、各脳力にふさわしい教育の仕方があり、また、幼少期にそれなりの集中的な教育を行う必要があるのだ。

忘れてならないのは、人類進化との関係からみた教育である。進化的観点から見て最も重要な脳力は、社会的知性と感情的知性(EQ)である。これらの脳力は自我と深く関係し、両知性と自我を総合した脳力を、前頭知性(PQ)と呼んできた。

PQとは「自分の感情を適切にコントロールして社会関係をうまく営みながら、未来に向けて前向き、かつ、幸福に生きて行くための知性」である。この脳力を担う前頭前野(Prefrontal cortex)という脳領域こそがヒトを「人間」たらしめ、全生物の中でヒトが最も豊かに発達している。「人類進化は前頭前野の進化」とされるほどだ。前頭知性を豊かにはぐくむことが「人間教育」の基本となるべきなのだ。

知育を考える上で生物学の観点は非常に重要なはずだが、現状は希薄だと言わざるをえない。残念なことである。(北海道大学教授 沢口俊之)

(2001.7.1 日本経済新聞)