しつけのナゾ


ネオテニー(幼形成熟)という生物現象がある。例えば、サンショウウオが幼生の形のまま成熟する現象を指す。身近な例ではイヌがそうで、オオカミの子供の形と性質を保ったまま大人に進化した動物だ。

知育を考える際に、ネオテニーを考慮する必要がある。私たちヒトも、実はネオテニーによって進化してきたからだ。

ヒトと最も近縁な霊長類はチンパンジーだ。500万年ほど前にヒトは、チンパンジーの系統から分かれ、ネオテニー現象が起きた。いわば子供っぽいチンパンジーになった。2足歩行を除いて、私たちの体形(頭が大きい、顔が平べったい、体毛が薄い、肌がすべすべしている、手が短い、など)は、チンパンジーの子供とそっくりである。

ヒトは何のためにネオテニーで進化してきたのか――。複雑で厳しい環境(特に社会環境)に適応するためである。ネオテニーというのは、幼少期が長くなり、かつ、大人になっても未熟だということだ。未熟化というのは一見、退化のように思えるかもしれないが、そんなことはない。特に脳の場合、未熟ということは、様々な知識や経験を柔軟に吸収・学習できることを意味する。そういう性質は、複雑で厳しい環境に適応するのにとても都合がよい。

ヒトはそもそも、霊長類の故郷としての森林を捨て、サバンナという厳しい環境に進出した霊長類である。その後も、折を見て厳しい環境(例えば砂漠や寒冷地)に進出した。現人類も、約20万年前に北東アフリカからヨーロッパ大陸へ、次いでユーラシア大陸の寒冷地へと進出した。

私たち日本人を含むモンゴロイドは、一度は寒冷地に進出した経緯があるので、ネオテニー度が最も進んでいる。欧米人(コーカソイド)と比べたとき、東洋人の頭が大きい、顔が平べったい、体毛が薄い、肌がすべすべしている、手足が短い点は、まさにネオテニーの特徴である。日本人は、幼少期が比較的長く成人しても未熟である傾向が強いのである。

これは、私たちの「脳力」をあまり未熟化させないようきちんと育てるためには、モンゴロイド流幼少期環境が必要、ということを示す。一言で言えば、厳しい環境である。厳しい自然もそれなりに重要だが、人間性や社会性などの知能の発達には、複雑で厳しい社会関係こそが重要になる。

戦後の日本をみると、これとはまさに相反する環境が広がっている。兄弟姉妹の数が少ない。少ない子供を過保護に育てる。家の作りも問題で、欧米流の住居がまん延し、子供が自分の部屋にこもったら、家庭内での「複雑で厳しい社会関係」など望むべくもない。学校でも、管理教育で「複雑で厳しい子ども関係」を奪い続ける。近所の子どもたちが作るガキ大将の集団も消えうせている。

大家族で、居間に怖い親父が一緒にいて、近所のオバサンにしかられ、学校は学校で厳しい先生にこづかれながらもワルガキ連中とワイワイやってというのが知能の発達のために大切な環境なのだ。人間性と社会性が豊かな子供たちを育成するには、これと同等の環境をぜひとも再構築する必要があろう。(北海道大学教授 沢口俊之)

(2001.6.17 日本経済新聞)