香山リカのココロの万華鏡



心理学者・小倉千加子さんのエッセイを週刊誌で読むのを毎週、楽しみにしている。

先週は「テレビに出る医者」の話だった。小倉さんによれば、弁護士、医師という資格の権威が下がってきたのと同時に、テレビの中でこそ「自覚感情」を強く感じられる医者も増えてきたのではないか、ということだった。「自覚感情」とは「これがホントの私だ、ここが私の居場所だ、と思える感覚」と理解すればよいだろうか。

テレビで活躍する医者は、病院にいるときよりテレビに出ているときのほうが「これが私」という実感を強く感じられる人、ということになる。

私はどうだろう、と考えてみた。「絶対にテレビになんて出たくない」というほど、強い意志があるわけではない。かといって、「テレビこそが居場所」とも到底、思えない。バラエティ番組やクイズ番組は「向いてません」と断るが、情報番組なら「必要とされているんだから」と出たりする。「来週からけっこうです」と言われるとそれなりに落ち込むが「ラクでいいか」と思い直す。

ではやっぱり「診療しているときこそ本来の私」なのかと言うと、そんな自信はない。しいて言えば「一日の診療が終わって、看護師さんたちとお茶しながらバカ話に興じているときがいちばんしっくりくる」となるだろうか。あとは、大学で教えた卒業生と飲んでいるときか、家でイヌやネコと遊んでいるときか。

こんな感じだからなにごとにおいても中途半端なんだな、と思った。これは今に始まったことではなく、子供のころから誘われるがままにいろいろなものにふらふらと手を出す私を、母親は「こんなことじゃ、どっちつかずの人になる」と心配していた。その心配が見事に当たったのだ。

ところが大人になってから、この中途半端さをほめる言葉があることを私は知った。それは「バランス感覚」。腰をすえて何かひとつのことに取り組めない私を「それはバランス感覚がある、ということですね」とほめてくれる人がまれにいる。それを聞くと私は「そうか、そうだったのか」とすっかりいい気分になり、だらしない自分を正当化してしまうのだ。

もちろん親だけはそんな言葉でだますこともできないようで、先日、北海道の実家に帰省したときも、久しぶりに母に言われた。「あなた、まだ医者一本に絞れないの?“二兎(にと)を追う者、一兎も得ず”っていうことわざ、知ってる?」。ううん、よくわかってます。でも、私は私。当分はこのままで行くつもりです。

2007.11.13 毎日新聞社