研究部長 森 壽生

 

2002年にSARSが流行を始め、2003年暮れから新しいインフルエンザウィルスが鳥インフルエンザとしてマスコミに取り上げられ、市民の大きな関心を引いている。この数年間、感染症に関して重大な局面にあることは間違いないことと考えられる。SARSについては今のところ流行はみられず、一安心というところだが、残念ながら治療・予防についての有効な手立ては現在のところない。
さて、現在問題となっている鳥インフルエンザはH5N1で、実は1997年香港でこのH5N1の鳥インフルエンザウィルスが直接ヒトへ感染し18人の感染者のうち6人が死亡した。トリ・マウスでは脳を含む全身感染を起こし死亡させている。いわば多臓器不全である。現在のH5N1は当時のウィルスとは変化している。

インフルエンザウィルスはオルソミクソウィルス科に属するRNAウィルスで、その内部蛋白質の抗原性の相違からA型、B型、C型と3種類に分類され、C、B、Aの順でヒトに伝播し、進化した。今から150年ほど以前にトリからヒトあるいはブタなどに伝播して進化したのが現在のA型インフルエンザウィルスである。このA型インフルエンザウィルスは野生の水禽類から他の動物に伝播したと考えられている。ヒトでインフルエンザ症状を引き起こすのはA型とB型で、C型は軽微な症状である。

A型インフルエンザウィルスはその表面の赤血球凝集素hemagglutinin:HAとノイラミニダーゼneuraminidase:NAの抗原性の相違によって、HAはH1からH15までの15種、NAはN1からN9までの9種の亜型に分かれる。BとCに亜型はない。

インフルエンザウィルスがヒトに感染して増殖するためにはいくつかのキーポイントがある。(1)感染の最初期の「吸着」という段階ではウィルス表面にあるHAが細胞表面の糖蛋白質あるいは糖脂質末端のシアル酸をレセプターと認識して結合する。(2)ついでレセプターに結合したウィルス粒子は「侵入」のステップに入る。ウィルスはエンドサイトージスによって細胞質内に取り込まれる。細胞質内に取り込まれたウィルスを包む小胞をエンドソームという。(3)エンドソーム内は弱酸性で、このためHAの構造に変化を生じてウィルス膜とエンドソーム膜が「膜融合」する。(4)ウィルス粒子内のリボ核蛋白質複合体:RNPは膜蛋白質1:M1などの内部蛋白質と結合しているため、これらの蛋白質とRNPの結合をゆるめて細胞質内にRNPを放出する準備をしなければならない。この「脱殻」の段階で膜蛋白質2:M2を介してエンドソーム内のH+イオンがウィルス粒子内に流入して、RNPは内部蛋白質との結合が緩み、細胞質内に放出される。アマンタジンはこの過程でのM2の作用を阻害してRNPの放出を抑制する。(5)放出されたRNPは核内に運ばれてRNAポリメラーゼによってRNAの「転写」と「複製」でウィルス蛋白質が合成される。(6)複製されたRNAは核蛋白質:NPあるいはウィルスポリメラーゼと結合してRNPとなって、M1や非構造蛋白質:NSによって核外に運び出され、細胞表面に運ばれる。RNPは表面のHA、NAや蛋白質と共に「出芽」によって細胞表面に押し出される。押し出されるウィルス粒子表面のHAとNAの末端にはガラクトースと結合したシアル酸がある。NAはこのシアル酸を切り離すことで、ウィルス自身の糖蛋白質末端のシアル酸を認識してお互いが結合し、感染力を失わないよう、それぞれのウィルス粒子が独立して出芽する。ザナミビルやオセルタミビルはこの段階でNAを阻害してウィルスの感染性を失わせる。

さて、新型インフルエンザの脅威が広がっているが、確かに現在までのインフルエンザワクチンが新型インフルエンザに対して有効かというと、否定せざるを得ない。ただし、H5N1もA型インフルエンザであり、現在入手可能なインフルエンザ迅速診断テストで診断可能である。もちろんH5N1であることを確定するためには専門機関に依頼しなければならない。しかし、迅速診断をしてA型インフルエンザを確定することは意味がある。既存のインフルエンザワクチンを接種したにもかかわらず、高熱と共に咽頭痛、咳などの呼吸器症状と全身倦怠感のインフルエンザ症状を示したならば新しいインフルエンザの感染を疑う。重要なのは臨床的な所見であり、インフルエンザを疑う充分な所見が得られ、かつ迅速診断でA型と確認できれば早期にオセルタミビルを処方し、重症化を防ぐ。ザナミブルもオセルタミビルもA、Bの両インフルエンザウィルスに有効で、新型ウィルスにも有効とされる。オセルタミビルについてはH5N1を動物に感染させてその有効性を確認している。その他H1N1、H3N2などでも有効性が確認されている。鳥インフルエンザウィルスがヒトに感染してウィルスが変異した場合、その効果に変化が予想されるがやはり有効だと考えられている。

新型ウィルスによる感染が考えられた場合、既存の抗インフルエンザウィルス薬のうち何れを用いるのがよりよい選択なのであろうか。H5N1に対してアマンタジンは無効という報告がある。

現在までの情報を整理すると、鳥インフルエンザがヒトに感染した例のほとんどは鳥との濃厚な接触を持った場合に限られるが、鳥との接触のないヒトへの感染も認められている。従って鳥との接触のないことを盲目的に過信してはならない。効率は悪いが、ヒトからヒトへの感染も考えられている。この場合の感染経路は飛沫感染と接触感染と考えられている。ヒトのインフルエンザの潜伏期間は1〜3日であるが、ヴェトナムでの例からヒトでの鳥インフルエンザ感染の潜伏期間は3〜4日という報告がある。感染性のある期間は発病前日から発病後7日程度と考えられているが、重症例ではさらに延長する可能性がある。鳥インフルエンザの初期症状は現在普通に見られるインフルエンザと同様と考えられるが、1997年や2003年〜2004年のヴェトナムでの高病原性鳥インフルエンザのヒトの感染例では急速な呼吸不全、全身症状の悪化、多臓器不全が報告されている。また2003年オランダでの例では結膜炎症状も認められており、通常のインフルエンザでみられる上気道、下気道症状以外の全身症状の発現を念頭に置く必要がある。

新型のインフルエンザと疑われる症例に遭遇した場合、まず迅速診断を実施する。デンカ生研(株)などのインフルエンザウィルス抗原検出用キットではH1からH15 までのインフルエンザウィルスに反応することが確認されている。検出キットで陽性が確認され、新型インフルエンザが疑われればオセルタミビルを48時間以内の早朝に服用することである。ただし、インフルエンザが強く疑われていて迅速診断キットで陰性であった場合、特に病初期では偽陰性となることがあるため、再検査することが勧められている。

医療機関での消毒は通常のエタノール、次亜鉛素酸を用いる。

新型インフルエンザウィルスが話題として騒然となっているが、インフルエンザの予防という観点から、われわれは進んでインフルエンザワクチンの摂取を受けるべきである。欧米では医療従事者のインフルエンザワクチン接種優先順位が高い。患者という弱者にインフルエンザを伝播させることのないように摂取することが第一義であるが、我々自身がインフルエンザに罹患して本来の活動ができず、社会に奉仕できないこととなっては大変である。さらに通常のインフルエンザと鳥インフルエンザの診断での混乱を防ぐため、また両者のインフルエンザウィルスの同時感染による新型ウィルス発現の予防が目的である。

鳥インフルエンザの拡大についてはタイでも問題となり、今現在日本では京都の養鶏業者の経営感覚が問題となっている。いずれの場合も個人・会社の経営・生活安定願望が道徳観を凌駕してしまったのであろう。

2004.3.15 神奈川県保険医新聞