増え続ける甲状腺がん 事故後誕生の子供脅かす 


増え続ける甲状腺がん 事故後誕生の子供脅かす 
「消えない傷痕 チェルノブイリ 25年」

原子炉爆発という原子力発電の歴史で最悪の旧ソ連チェルノブイリ原発事故から26日で25年。福島第1原発事故の深刻度が国際評価尺度で同等の「レベル7」とされたことも加わり、再び世界の注目が集まる。当時まき散らされた高濃度の放射性物質による健康被害が続き、原発解体にはさらに100年以上の長い時が必要とされている。

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 狭くて薄暗い病院のベッドに、15歳の女子中学生アナスタシアさんが静かに座っていた。あどけなさの残る笑顔の下、あごから首にかけて、白い肌に10センチ以上残るJ字型の赤い傷痕が痛々しい。

 「甲状腺がんの手術痕だ。彼女はチェルノブイリ事故の汚染地域に住んでいた」。ウクライナの首都キエフにあるこの病院を併設する国立内分泌代謝研究所のテレシェンコ医師は、小声でこう説明した。

 ここではほぼ毎日、数人の甲状腺がんを手術する。「心臓が痛み、呼吸が苦しくなる」。3カ月前に発症した同じ病室の中年女性は、病の苦しさをこう説明した。

 事故は1986年4月26日、旧ソ連ウクライナ共和国で発生。飛散した放射性物質セシウム137は半減期が約30年と長く、今も影響が懸念されている。

 放射性ヨウ素も拡散し、子供を中心に甲状腺がんが多発した。このがんは、小さくても転移しやすい性質を持つことなどが同研究所の調査で判明。アナスタシアさんは事故の10年後に生まれたが、同様に「放射線が影響したがんの特徴がある」(同医師)という。

 同研究所のトロンコ所長が事故時に汚染地域にいた18歳以下の甲状腺がんの発症例を示すデータを見せてくれた。86年には年間19人だったが2009年には同592人。発症者は20年以上、毎年増え続けた。

 「潜伏期間があるから年々増えるのは不思議ではないが05年ごろに減少に転ずると考えていた」と同所長。同研究所で手術したのは6049人。国連報告書も6千人以上が罹患(りかん)したとしている。

 事故後の甲状腺がんは、多くの場合はヨウ素剤の服用で効果的に防ぐことができたとされる。しかしソ連政府は数日間、事故を隠したため、子供たちにヨウ素剤を飲ませることができず、被害が拡大した。

 「私たちは事故対応を誤った。だから福島第1原発の事故が気になる。日本ではすぐにヨウ素剤は飲ませたのか」。長崎大などから被ばく医療を学びながら患者と向き合ってきた所長は、記者に何度もこう質問した。(キエフ共同)

※チェルノブイリの健康被害

 チェルノブイリ原発事故では大量の放射性物質が飛散、周辺地域で甲状腺がんの増加など重大な健康被害が発生した。事故の影響による死者数は、国際原子力機関(IAEA)などは約4千人、世界保健機関(WHO)は最大9千人と推計。約20万人とする環境団体もある。WHO下部組織は、がんによる死者数は旧ソ連の現場周辺国と欧州の計40カ国で、1986年の事故から2065年までに約1万6千人に達する恐れがあるとしている。


2011.04.19  提供:共同通信社