臨界事故の街走り回る 放射能で重症の貧血に 
「レンズが捉えた現場」「樋口健二氏編」

 

  樋口健二(ひぐち・けんじ)さん(76)の運転する車が、常磐自動車道の日立南太田インターチェンジを出ようとすると、料金所に人影はなかった。1999年10月1日のことだ。「係員が皆、逃げて料金も取れない。これは、すさまじいことになっているな」

 前日の9月30日、茨城県東海村の核燃料加工会社JCO東海事業所で、ウラン溶液を沈殿槽に一度に投入し、核分裂が続く臨界状態が発生。中性子線が放出された。

 東京都国分寺市の自宅にいた樋口さんはテレビのニュースで事故を知ったが「現場周辺の放射能レベルが通常の1万〜2万倍」という報道を聞き、「今回の取材だけはやめておこう」と思った。

 ところが、被ばくした作業員3人が放射線医学総合研究所へ運ばれる姿が画面に映ると、「また労働者がつぶされた」と怒りがこみ上げ、翌日早朝、車に飛び乗った。

 東海村に人の姿はなかった。現場から半径350メートルに避難勧告、半径10キロ以内の住民約31万人に屋内退避要請が出ていたからだ。信号も止まっているので、車はノンストップで街中を走り回った。「普段はにぎわうスーパーや娯楽施設の駐車場も空っぽ。ゴーストタウンのようでした」

 夕方、中央公民館に行くと、住民が長い列をつくっていた。東京電力の社員が、服の表面に計器を当て放射線量を測定している。それを見た樋口さんは「外部被ばくなんて測ってもしょうがない」と、食ってかかった。

 「問題となるのは内部被ばくなのに、測定の用意もなかったんです」。当初、被ばく者は約70人と発表されたが、最終的に住民ら664人の被ばくが確認された。

 東海村から帰ってくると、頭の中が熱くなった。約1カ月で症状は消えたが、4年たったころ、鼻血が止まらなくなる。

 病院で検査した結果、白血球が通常の半分以下に減少していた。医師が「どんな仕事?」と聞くので、原発内部や臨界事故現場の取材を続けてきたことを話した。

 診断は再生不良性貧血。病状が進むと白血病になる、という。

 「写真のために身を削り、勲章をもらったと思えばいいのかな」と樋口さん。だが、医師のこの言葉には弱った。「これからは放射能のある所に行かないこと」。忠告を守れば、取材に行けなくなってしまうからだ。


2013年6月25日 提供:共同通信社