東日本大震災(被災地の現場から)突然、病院に警察官、「逃げろ」と


東日本大震災(被災地の現場から) 突然、病院に警察官、「逃げろ」と指示 双葉厚生病院院長・重富秀一氏に聞く
◆Vol.2 行政などからの連絡なく、ニュースで避難決断

――先ほど、警察官が入ってきて、「逃げろ」と言ったと。

 後から思い出しながら記録したので、多少時間が違っているかもしれませんが、3 月12日の午前6時に対策会議を開いた後、6時30分くらいだと思います。いきなり、警 察官が病院に入ってきたのです。

 「玄関から誰かが入ってきた」となり、何だ、となった。放射線防護服を着ていた ので、「何、仰々しいことやっているんだ」、「こんな派手な格好しなくてもいいじゃ ないか」とも思った。自衛隊の人も来たのですが、普通の制服姿でした。

 警察官とは、1時間ほど、もめました。「放射性物質が飛散しても、収まるまで病 院の中にいればいいでしょう。なぜ逃げなければならないのか」と。入院患者さんも 多数いましたし。

 ――当時の入院者さんは何人くらいですか。

 県立大野病院との統合直前だったので、入院患者さんを減らしており、通常よりは 少なかった。当院は260床ですが、136人でした。一般病棟(内科、外科、眼科)に70 人、産婦人科病棟に10人、神経精神科病棟に56人です。それでも136人を動かすのは 容易ではない。バスは来ていたのですが、救急車は来ないし、ドクターヘリもない。 職員からは、「患者さんを動かして、何かあったら、院長は責任を取れるのですか」 とも言われ、さすがに困った。

 ――テレビなどで、原発の状況を把握されていなかった。

 明け方(3月12日の朝)、少しゆとりができた時に、テレビを玄関の方に移動させ て観たりはしていました。その時に、「何か気持ち悪いニュース」をやっていたよう な気がします。入れ替わり職員が観ており、「何か変だな」と。

 ――しかし、避難しなければいけな いという危機感はなかった。

 なかったです。後から調べると、3月11日午後8時50分の時点で、原発から半径2km 圏内に、午後9時23分には半径3km圏内に、それぞれ避難指示が出ていましたが、その 情報を聞いた記憶もありません。

白い防護服を着て病院に来た警察官(左、3月12日午前6時40分頃)、自衛隊も 多数救助に訪れた(右、3月12日午前7時頃)(写真提供:双葉厚生病院)。

 ――県などから情報は入らなかったのでしょうか。オフサイトセンターとか。

 オフサイトセンターで本来、連絡をするべき人は皆、いなくなってしまったのでは。 後から聞くと、県立大野病院では、その時点で既に避難が始まっていました。院長は こちらに連絡をしようと思ったそうですが、電話が通じなかった。少なくても、双葉 町役場からの直接の連絡はなかった。役場からは歩ける距離なのですが……。その頃 は、住民の避難始まっていたんですね。また防災無線は鳴っていたそうですが、聞こ えない。警察官が来てくれたということは、県の指示なのでしょうが。結局、情報源 はテレビのニュースだけでした。

 警察官とやり合っても、なぜ逃げなければならないのか、きちんとした説明はあり ませんでした。結論から言えば、午前7時すぎ、テレビで、「内閣総理大臣が、半 径10km圏内の住民の避難を指示した」というニュースが流れた。「総理大臣が言うの であれば、言うことを聞かなければならない」ということで、職員に避難することを 納得してもらった。それまでは、職員の誰も、「逃げましょう」とは言わなかった。 だから、「逃げよう」と私が説得するのが大変だった。

 ――テレビのニュースが最終的な決断を促した。

 電話は通じたり、通じなかったり、という状況でした。最終的に避難を決定したの は、午前7時30分頃です。

 ――警察とは1時間くらいやり取りして、避難を決断した。

 その時点でも、すべての入院患者を避難させることは考えていなかった。先ほども 言いましたが、救急車もドクターヘリもなかったので。自力で動ける人はいいでしょ う、ということで、精神科の患者さんと、一般病棟の何人かの避難準備を始めました。 自力で動けなかった40人を残し、96人に警察の指示に従い、バスや自衛隊で避難して もらいました。食料と医薬品、そのほか必要なものと一緒に。

まず自力で歩くことができる精神科の患者から避難
(左、3月12日午前8時30分頃)。
第一原発のベントに伴い、避難を一時中断し、屋内退避
(右、3月12日午前9時30分頃)


(写真提供:双葉厚生病院)。

――職員も一緒にバスに乗ったのでしょうか。

 その点が後で少し問題になったのですが、96人は連続して避難でき、行き先も一緒 だと思っていました。

 ――出発する時には行き先は分かっていたのでしょうか。

 最初は国道288号線を越えて、川内村の方に、という話でした。しかし、途中から、 国道114号線で川俣町の方へと話が変わった。川俣町に行くことは出発前に分かって いたので、「行き先が一緒なら大丈夫だろう」ということで、最初の2台のバスには、 ほとんど問題がないと思われる患者さんを乗せて、職員は乗らずに出発した。しかし、 避難を始めたら、すぐに「屋内に避難してください」と言われた。

 それは、結局、原発でベントをやるためだったと思うのですが。結果的には最初 の2台のバスだけが行ってしまい、職員が付いていけなかった。それでも、すぐ(ベ ントは)終わるだろうし、いずれ後から行くのだから、と思い直しました。しかし、 結果的には3時間も避難を中断せざるを得ず、電話も通じなくなった。

 挙げ句、最初の2台のバスに乗った患者さんの何人かが、途中でバスから降ろされ てしまった。半径10kmを超えたところで。理由は分からないですが。「オンフール双 葉」という特別養護老人ホームです。後から所在確認はできたのですが、当初はもの すごく心配しました。
聞き手・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長 )



2011年8月16日提供:m3.com