多様な発がんリスクをどう捉えるか
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科長・山下俊一氏に聞く◆Vol.2


政府の情報開示のあり方には問題あり

 ――放射線による健康影響については、一般の方に理解されていない、知られていない事実が多い。

 そうですね。例えば、ここに10μSv/hの放射線を出す物質があるとします。それがどのくらい体に影響があるかを計算し、イメージで示すと、「一つの細胞に放射線がちょっと触るぐらい」。しかし、そのイメージを持てず、放射線が体を突き抜け、細胞に傷がたくさん付くと思う人が多い。専門家が分かりやすい絵を描いて、説明していかなければいけないと思うのです。

 また医師も、無頓着、無防備で、放射線を使ってきたという一面もあります。リスクよりもベネフィットが多いから。つまり、医療においては、放射線を使う理由が正当化されていたわけです。

 これに対し、今回、問題になっているのは、全くの被害者だから。全く便益がない。原発事故が収束して、放射線のレベルが下がることが最低限必要。したがって、今のこの状況下で皆が不安、心配に思うのは当然。では、何を心配しているか。一度に大量の被曝をするわけではない。低線量の被曝が続くことにより、将来、発がんのリスクが高まるかどうかが心配なのです。

 今、日本人の2人に1人はがんに罹患する時代。1000人いれば、500人はがんになる。仮に100mSvの放射線を浴びたら、4、5人程度増える。これが今、心配されている放射線のリスクなのです。ほとんどの人は、ウイルスとか生活習慣病、タバコ、遺伝的な要因など、他の原因でがんになる。これらのリスクを総合的にどう考えるかが、一つの問いになるわけです。このようなリスク論は、論理的に考えないといけないのですが、やはり感情的な側面もあり、心配、不安はなかなか払拭しない。

 本当は、まず男性が理解しないといけない。男性は40歳以上になると、広島、長崎のデータでは、被曝による発がんリスクはない。20歳以上でも、男性の場合はほとんどリスクが見られない。そのリスクがない男性が、「危ない」と騒いでいる。

 私の説明の仕方も悪いのですが、女性にご理解いただくのが第一なのです。しかし、理解できない以上は、そこにいるだけでストレスなので、自主避難しかない。どう理解して、そこで生活するか。「リスクがゼロのところから、少し増えた。でも医学的にどう考えても影響がないレベルです」などと言っても、「リスクがある」ということだけで、不安になる。

 こうした問題は、放射線に限らないと思います。環境ホルモンでもそうです。極めて微量なものでも心配する。電子レンジのマイクロ波による発がんも心配する。タバコもそう。つまり我々の周りには、発がんのリスクになるものが山ほどあるわけです。その中で、放射線だけを取り除くのは、不可能。さらに言えば、私たちの体は、寄生虫と共存しているわけです。体内の大腸菌などもゼロにできない。しかし、我々は免疫力などがあるために共存できる。

 同じような体のメカニズムが、放射線に対してもあるわけです。DNAの損傷を修復する能力はすごい。細胞が分裂する時に起きるエラーを修復する能力を持っている。それと同じことを放射線による損傷に対してもしている。しかし、こうした感覚、知識は、急に降って沸いたリスクの状況下ではなかなか理解できない。

 ――先生は3月18日から福島に行かれています。最初の頃は、先生が持つ知識を一般の人に伝えるために、どんな工夫をされたのでしょうか。この3カ月間で、説明の仕方などに変化はあるのでしょうか。

 最初は、何も分からない状況だったので、火山や紫外線などに例えて説明していました。「放射線は火山のマグマ。ボンと爆発した。近くに行くと火傷するけれども、遠くにいれば、届かない」、「心配なのは、放射線の降下物。火山が爆発する際、遠くにいれば、火の粉は灰になっている。灰であれば心配要らない」という感じです。すると皆が安心する。放射線の単位も分からない中で、細かい話はできません。

 でもそれは3月の終わりぐらいまでです。大きく変わったのは、文部科学省が「20mSv」を出した時(編集部注:4月19日に文科省は、「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」を公表)。

 ――それまでは、「100mSv以下であれば安心」などとは言っていなかったのでしょうか。

 「分からないから、心配しても仕方がない」、「100mSv以下は分かりません」などとずっと言ってきた。

 ――「分かりません」というのは。

 発がんのリスクは増えない。だから安心してくださいという意味です。「ここで、すぐに大量被曝するわけではないから、大丈夫です」、「逃げ出す心配は要りません」という話をずっとしてきました。

 ――そこで文科省の「20mSv」の基準が出た。

 ICRPでは、緊急時には20mSvから100mSvの範囲内で防護対策を取るよう勧告しています。その一番低いところを基準にした。当然、国の言うことに従わないといけないから、その基準を守りましょう、という話をしたわけです。

 そうしたら、この20mSvは、緊急事故が収束した後の基準である「1mSvから20mSv」の20mSvという話も出てきた。原子力安全委員会と、文科省で、20mSvの根拠がふらついていた。私は現場にいたので、そうした話は全然分からなかった。

 ――どこで線を引くかは、最終的には政治や行政がどう判断するかになる。

 もちろんです。私としては、20mSvは妥当だと思います。これを超えないよう、また当然低いレベルを目指すということで、国がきちんと対応している、と私は信じているのですが。

 それを市民がなかなか信じないのは、また別の要素があると思います。情報の不確かさ、遅さが問題。しかも、悪い情報が、後から出てくる。私も現場にいて、「なんだ、これは」と思うくらい、後から後から情報が出るわけでしょう。
橋本佳子(m3.com編集長)


2011.07.011提供:m3.com