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顎関節症物語

 


全身の症状はどこまで関係があるのか

井上農夫男  北海道大学大学院歯学研究科 口腔健康科学講座 高齢者口腔健康管理学分野

 近年、顎関節症は一般歯科医にとっても避けることのできない存在になってきています。しかし臨床では、患者を前にその説明と対応に戸惑うことは少なくありません。今回のシリーズでは、すぐに役立つテーマについて、わかりやすく解説します。
 最近では、さまざまな全身の症状を訴える顎関節症の患者が増えてきています。さて、顎関節症と全身の症状はどこまで関係があるのでしょうか。今回は、この問題について解説します。

●顎関節症と全身の関係
 顎関節症は局所の障害ですが、程度の差はあれ全身に影響を与え、全身の症状を現したり、逆に全身の状態が局所に影響し、局所の状態が憎悪したりするなど、局所と全身はお互いに影響し合っています。
 身体を形づくる個々の器官、組織および細胞は独立して働くのではなく、相互に密接な関連性を保ちつつ活動し、全体として調和を保つことによって生命活動が行われています。すなわち、局所の全身の統制や調節は、神経系、内分泌系、免疫系によって行われています。これら3つの系は「ホメオスターシスの三角形」と呼ばれ、相互に密接に関連し、共同作用を営み、生体の恒常性を維持しています(図)。

図

 では、顎関節症において生体の恒常性を乱し、全身の症状を現すものは何なのでしょうか。このことはよくわかっていませんが、原因の1つに痛みが挙げられます。たとえば、顎関節や咀嚼筋の痛みが脳においてストレッサーとして認識されると、視床下部からの命令によって神経系・内分泌系・免疫系が作動し、全身反応が惹起され、多様な全身の症状を現すとされています。
一般に病気には身体的要素と心理社会的要素の二面があり、多くはこの両面を併せ持っています。顎関節症では、関節(雑)音だけでも気分が不快になり、毎日の生活を不安に感じる人もいます。ましてや痛みがあると不安は増し、日常生活にも支障をきたすなど心理社会的側面への影響はより大きくなります。逆に不安や緊張などの心理的ストレスが加わると、疼痛の憎悪を訴える患者も珍しくなく、とくに慢性痛を持つものにその傾向が強くなります。

●疼痛と心理的側面
 疼痛は生体外からの有害刺激や生体内の異変を認知する感覚の側面と、情動の側面を持っています。情動の側面とは、痛みに伴う不快感、不安、苦しみ、恐怖などを指します。国際疼痛学会では、痛みを「組織の実質的または潜在的な傷害に伴う不快な感覚、情動体験か、またはその傷害を表す言葉を使って述べられる不快な感覚、情動体験」と定義しています。つまり、組織の傷害が見当たらない疼痛があることを意味します。

 組織に有害刺激が加わると、痛覚神経終末の痛覚受容器(侵害受容器)から疼痛信号(侵害受容インパルス)が発せられます。疼痛信号は神経線維を介して視床を経て大脳皮質に伝えられます。信号の一部は大脳辺縁系や視床下部にも伝えられます。辺縁系が痛みに情動的な修飾を行い、皮質が痛みに意味と過去の体験に基づく重要度を与えると、疼痛信号は感覚、情動体験として認知されます。この認知の過程は必ず心理社会的因子の影響を受けます。また、自律神経系の中枢である視床下部からは、自律神経系や内分泌系に恒常性維持の命令が出されます。
 急性痛は普通一過性で、組織の傷害部位が完全に治癒すると、疼痛は消失し、自律神経の緊張も緩和され、心理的にも不安、緊張状態から解放され安定した状態に戻ります。一方、慢性痛の場合には、疼痛発生の原因となる疾患が治癒し得る十分な時間を過ぎても痛みが継続し、経過が長くなるにつれて心理社会的因子の影響が増してきます。患者は、睡眠障害、食欲不振、疲労と性欲の喪失、社会活動の制限など心理的症状を伴うことが多くなります。さらに、家庭や仕事上の軋轢、経済的な問題、接続する痛みなどのストレス要因は、不安や緊張を高め、自律神経系・内分泌系の活動を亢進します。その結果、多様な身体症状を現す危険性が高まります。

●顎関節症における心理社会的側面
 顎関節症の概念は、「顎関節症とは顎関節や咀嚼筋の疼痛、関節(雑)音、開口障害ないし顎運動異常を主要症候とする慢性疾患群の総括的な診断名であり、その病態には咀嚼筋障害、関節包・靱帯障害、関節円板障害、変形性関節症などが含まれている」(日本顎関節学会、2001)と定義されています。

 顎関節症の病因は多様で、まだ一定の見解は得られていませんが、心理的ストレスは本症の発症や憎悪、永続化に密接に関連すると考えられています。疼痛、とくに慢性痛の病院として心理社会的因子が重要なものとされています。顎関節症の一部にはその発症や経過に心理社会的因子が密接に関与し、器質的ないし機能的障害が認められる病態があります。このような病態は、本邦では心身症と呼ばれています。顎関節症においては「心身症」とされる病態だけでなく顎関節症と関連する精神疾患があるので、これらを念頭に心身両面からのアプローチが必要です。
 心身症とは、「身体疾患のなかで、その発症や経過に心理社会的因子が密接に関与し、器質的ないし機能的障害が認められる病態をいう。ただし、神経症やうつ病など、ほかの精神障害に伴う身体症状は除外する」(日本心身医学会、1991)と定義されています。心身症は独立した疾患単位でなく、各器官における疾患のなかで上記条件にあてはまるものです。代表的な心身症として消化性潰瘍、過敏性腸症候群、気管支喘息、過換気症候群、摂食障害、緊張性頭痛、書痙、痙性斜頸、低血圧、蕁麻疹、自律神経失調症、顎関節症などが挙げられています。

●全身の症状はどこまで関係するのか
 顎関節症では顎関節や咀嚼筋の痛みと関連して、しばしば頸や肩に筋痛、疲労、緊張などの症状が現れます。これらが急性痛と関連している場合には、傷害組織の正常な治癒過程に伴い症状はみられなくなります。
 一方、筋・筋膜痛などの慢性痛が関連している場合は、少し様相が異なります。筋・筋膜痛では痛みが接続することにより心理社会的側面の影響が強く現れてきます。問題は、慢性痛が個人の心理社会的側面に影響し、抑うつ、身体的潜入概念、身体制限、睡眠障害や絶望感を含んだ複雑な苦悩の要素を作り出し、逆にそのような心理社会的要素が疼痛を憎悪させ、相互に悪循環を形成することです。その結果神経系・内分泌系・免疫系などに変調をきたし、多彩な全身の症状を呈するとされています。

 筋・筋膜痛には、しばしば筋痛や関連痛以外に別の症状を伴うことがあります。筋・骨格症状としては、疲労、緊張、関節のこわばりと腫脹があります。神経学的症状としては、ひりひり感、無感覚、視力障害、筋単収縮、皮膚紅潮と過剰流涙があります。また、耳の検査では正常にもかかわらず耳痛、耳鳴り、聴力減少、平衡性眩暈、回転性眩暈および耳の充満感のような多数の耳の症状が報告されています。自律神経性の変化では、蒼白、発汗、紅潮、流涙、鼻粘膜のうっ血、浮腫性の眼瞼、唾液分泌の増加、吐気および嘔気のような症状がみられます。その他に頭痛、めまい、動悸、息切れ、肩こり、全身倦怠感、悪心などの症状や多臓器に及ぶ症状を呈することがあります(表)。
 これらの全身の症状は、疼痛と神経系・内分泌系・免疫系、さらに心理社会的因子が相互に密接に関連して発症するものと考えられます。最近では、この領域において情報伝達物質を介して相互関係を解明する研究が進められています。しかし顎関節症と全身の症状がどこまで関係しているのか、その因果関係を明らかにするのは難しいのが現状です。

表 自律神経失調症の臨床症状
1.全身症状: 全身倦怠感、易疲労性、熱感、のぼせ感、冷え性、寝汗、流涙、圧迫感、焦燥感、物忘れ、肥満、るい痩など
2.神経筋症状: 頭重、頭痛、片頭痛、不眠、めまい、耳鳴り、肩こり、背痛、腰痛、四肢のしびれ感、知覚過敏、知覚鈍麻、手指・眼瞼の振戦、緊張ないし麻痺感など
3.循環器症状: 動悸、息切れ、発作性頻脈、不整脈、期外収縮、浮腫、胸部絞扼感、胸内苦悶、四肢湿潤、先端蒼白など
4.呼吸器症状: 呼吸促泊、呼吸困難、神経性咳嗽、血管運動神経性鼻炎、気管支喘息、咽頭異物感、神経性吃逆など
5.消化器症状: 食思不審、流涎、口渇、悪心、嘔吐、過敏症、膨満感、腹部不快感、心窩部痛、胃痙攣、便秘、神経性下痢など
6.泌尿・生殖器症状: 頻尿、残尿感、排尿痛、神経性多尿または欠尿、夜尿症、性欲障害、陰萎、月経困難、月経前緊張症など
7.皮膚症状: 多汗症、欠汗症、無汗症、皮膚絞画症、赤紫色線条、蕁麻疹、とりはだ反射亢進、神経性皮膚炎、皮膚痒症、アトピー性皮膚炎、円形脱毛症など

田邊 等:自律神経失調症の症状学、現代の自律神経失調症、新興医学出版社、東京、1992より引用

 

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