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座談会
合っている義歯にこそ使用を「義歯安定剤」から「義歯安心剤」へ

水口俊介先生(司会)
東京医科歯科大学大学院 医歯学総合研究科 全部床義歯補綴学分野教授 阿部有司先生 阿部歯科クリニック院長 村岡秀明先生   村岡歯科医院院長

超高齢化社会における義歯の意義

水口 超高齢化社会でますますの需要が見込まれる義歯の必要性、また義歯を適正かつ快適に使用する上で義歯安定剤が果たす役割について、臨床経験の豊富な先生方と討議してまいりたいと思います。
平成18年版高齢社会白書によると、2025年にはわが国において75歳以上の高齢者が2,167万人に達すると予想されており1)、義歯の需要は大幅な増加が見込まれています。一方で、介護施設における後期高齢者の義歯使用実態調査にて、義歯を必要とする割合が約9割と高かったにもかかわらずその半数近くが未装着であったというデータが示されており2)、義歯を必要とする方が必ずしも適切に義歯を使用できていないという意味で、わが国の義歯の普及と管理指導の体制には、いまだ改善すべき余地が多く残されているといえます。最初に、超高齢社会における義歯の意義について、先生方のお考えをお聞かせ下さい。

阿部 平成元年から日本歯科医師会と厚生労働省が推進してきた「8020運動」は、口腔ケアの重要性を一般に知らしめるという意味で大きな成果を上げてきました。運動開始からなお20年間で日本人の平均寿命は男女とも3〜4歳延長し、女性は86歳、男性は79歳に達しています。80歳時20本以上の自歯残存を目指すという目標は、健全な状態で自歯を保てるのであればそれに勝ることはありませんが、自歯の保存を強調するあまり、高齢者が無理に歯牙を残すことの危険性および義歯の有用性に対する正しい理解が浸透しづらかった面もあるのではないかと思っています。高齢者人口がピークを迎える前に、歯科界としては超高齢社会に対応した自分の歯でも入れ歯でも誰もが食事や会話を生涯楽しめる生活」を支える診療体系を確立し、広く一般にアピールしていくことが急務であると考えます。

村岡 残存歯が20本未満になると患者さんはたいていがっかりしますが、大切なのは自分の歯であれ義歯であれ、オクルーザルストップを確保して、咀嚼、嚥下可能な咬合を保持することだと理解していただきたいですね。自分の歯が20本あってもすれ違い咬合であるならば、かえって総義歯にして咬合関係を安定させてあげた方が健康で豊かな生活が送れると思います。

水口 義歯と健康に関する研究としては、残存歯が上顎10歯、下顎8歯以下の義歯未装着者に比べ義歯装着者で生存率が高いという報告があります3)。また、咀嚼により脳の感覚運動野、島、黒質線条体、補足運動野などが活性化することがPET画像やfMRIdで認められており、義歯装着による咀嚼能の向上が認知症予防につながる可能性も示唆されています。

村岡 歯科医は健康維持に果たす義歯の役割について、再度考え直す必要があるのではないでしょうか。インプラント技術の導入に伴い、若い世代で義歯製作技術の研鑽が不十分になっているのではないかと懸念しています。

水口 高齢者の急増という現実を見据え、これからの歯科医には最低限のスキルとして義歯のケアの習熟が求められると考えています。

義歯安定剤により咬合力、義歯維持力、咀嚼機能が向上

水口 では、義歯安定剤に話題を移したいと思います。義歯安定剤は、密着型義歯床安定用糊剤(home-refiner)と粘着型義歯床安定用糊剤(denture adhesive:義歯粘着剤)に大別され、後者にはクリームタイプ、粉末タイプ、シートタイプがあります(表)。軟らかく粘つかないクッションタイプの密着型は、主に不適合義歯の調製に用いられ、床の大きさと適合性、材料のぬれ性に働きかけてリベース材のような役割を果たします。これに対し粘着型は水分を含むことで粘度が高まり、唾液のように作用して義歯を維持します。その性質から加齢、ストレス、喫煙唾液腺障害、薬剤の副作用などにより口腔乾燥症を発症すると粘着力が低下し、使用困難となります。

表市販されている主な義歯安定剤

阿部 不適合義歯の調整に密着型の安定剤を使うという点ですが、以前診た要介護者の総義歯の例では、ティッシュコンディショナーや密着型の安定剤を使用した結果、固定はされたものの、咬合も変位し食渣が大量にたまり、誤嚥性肺炎を発症してもおかしくない状態になっていました。義歯自体が部分床義歯に歯を足したような不適合な義歯でしたので、このような義歯を安定剤で使い続けていたことが誤りだと思います。日常的な義歯の手入れや口腔内の清掃が十分できない要介護者が密着型の義歯安定剤を使用するのには無理があります。

水口 床が足りない、あるいは完全に合わない義歯は、リベースやつくり直しが必要です。密着型については、すぐに歯科に行けないときに短期間緊急避難的に使い位置付けと理解しています。
米国では500万人以上が粘着型を使用し、75%の歯科医が患者さんに粘着型の使用を勧めています。わが国の市場動向でも義歯安定剤使用者の約70%が粘着型、主にクリームタイプを使用しているとされています。

村岡 長年使い慣れている義歯が少し緩くなったとき、リベースで痛みが出たり使用感が変化するのを嫌い、義歯自体の調整を望まない患者さんも存在します。もともと適合していた良い義歯に多少の緩みが出てきたときには、義歯粘着剤の使用は有用だと思います。しかし、口を開けるだけで義歯が外れるような、完全に不適合な義歯を密着型の安定剤を使用して使い続けていると咬合にゆがみが生じ、顎堤が安定剤で圧迫されてフラビーになるなど弊害が発生します。こうした例では義歯自体の調整が必須で、特にわたしは咬合調整により義歯の動きを少なくすることが大切だと思っています。

阿部 わたしは以前、習志野市歯科医師会の会長を務めていたときに、薬剤師会とともに義歯安定剤と洗浄剤の講習会を行ったことがありますが、その際、参加した歯科医からは「合う義歯をつくれば安定剤は必要ない」、「歯科医が安定剤を使ったり患者さんに勧めるというのは恥ずかしい」などの否定的な意見も少なからず聞かれました。しかし、実際には顎堤吸収が進んだ患者さんで、経年変化に応じた細かい調整が必要な場合、何度も来診の負担をかけるのは現実的でなく、歯科医が義歯粘着剤の適切な使用法を熟知し説明する機会も増えてくると感じています。

村岡 患者さんによる日常的な利用だけでなく、義歯粘着剤は歯科医が診療時に使っても有効です。義歯粘着剤で上顎義歯の落下や下顎義歯の浮き上がりを防いで位置を維持すれば、正確な咬合採得や咬合調整を行うことができます。新ポリグリップは粉末タイプよりも粘り気があるため使いやすいと考えています。

図1 顎堤状態のちがいにおける義歯粘着剤使用時、不使用時の最大咬合力、義歯維持力および咀嚼能力水口 義歯安定剤は、適切に使用すれば義歯の維持や咀嚼能の向上に役立つと思われます。海外の文献では、総義歯を5年以上使用している患者さんに5種類の義歯粘着剤でも維持力が向上したと報告されています4)。また、当大学のFujimoriらの検討では、顎堤良好者および顎堤不良者のいずれにおいても、義歯粘着剤使用時の最大咬合力、義歯維持力、咀嚼能力が非使用時よりも向上しており(図1)、向上した結果、かみしめ時の咬合力が向上し、咬合の安定性向上により咀嚼能力が推察されました。
義歯の使用にはただかんで食べられれば、よいとうことだけでなく、人前で話をすることやや会食をするといった社会生活への適応が求められます。そのため、われわれはもちろん、義歯使用の状況によっては義歯安定剤の使用を勧めるという、患者QOLの観点に立った、柔軟性のある姿勢で診療に臨む必要があります。

義歯安定剤の使用には至適用量と正しい洗浄法の順守が肝要

水口 次に義歯安定剤の使用法の指導について、先生方のご経験から特に重要なポイントを挙げていただけますか。

村岡 わたしのクリニックでもクリームタイプを使用されている患者さんが多いのですが、全体に多量に塗布するほど効果的だと考える傾向があるように思います。必要量以上の使用ではかえって咬合が狂い、使用感が損なわれることを伝える必要があります。わたしは新ポリグリップならばグリーンピース2粒あるいは3粒の量で十分な粘着力が得られると説明しています(図2)。

図2 新ポリグリップの適切な使用量

阿部
 わたしも「義歯安定剤を使うと粘ばつくので嫌だ」という患者さんに対しては「それは使う量が多過ぎるか、義歯が合っていないために安定剤がはみ出しているんですよ」と説明しています。

村岡 義歯の使用感には個人差がますから、個々人の適量を具体的な数値で示すのは難しいかもしれませんが、少なくとも添付文書に記載されている適正量と使い方については、患者さん、歯科医、薬剤師の間で周知徹底すべきだと思います。歯科だけでなく薬局でも的性は使用量や洗浄の方法などの使用法に関して正しいインフォメーションを示し、患者指導に努めるべきでしょう。

水口 わたしが義歯安定剤の使用に当たって指導が必要だと思うのは使用後の洗浄法です。口腔内の粘膜と義歯に付着した義歯粘着剤は、口を軽くすすいだだけでは完全には除去できません。クリームタイプの義歯安定剤の洗浄法は、口腔内をガーゼでぬぐい、義歯は水に浸してから流水下でブラッシングして洗浄液に浸します。添付文書にも書かれているこの洗浄方法について患者さんの注意を喚起して実際に指導し、口腔内を清浄に保つことが肝要です。