Dr.中川のがんの時代を暮らす:/22 
「人生の仕上げ」の時間

 

 北朝鮮の金正日総書記が先月17日に急死し、大きなニュースとなりました。父親の金日成主席と同じ心筋梗塞(こうそく)が死因と伝えられています。しかし、予期せぬ死だったため、20代後半とされる金正恩氏への政権のバトンタッチは薄氷を踏むかのようです。

 伝えられている通りであれば、金総書記の死は「ピンピンコロリ」、日本人にとっても「理想的な死に方」と言われます。がんで長く苦しむより、直前までピンピン元気でコロリと息を引き取りたいというわけです。確かに、最期まで死を全く意識せずに生きることはできますが、これでは亡くなる本人も、残される周囲も「準備」ができません。

 一方、がんであっても、心身の苦痛を取り去る「緩和ケア」を適切に行えば、亡くなる直前まで普通に暮らすことが可能になります。さらに、がんという病気が患者の皆さんの人生をより深めてくれるようにも思います。これは、がん患者の皆さんの死生観を調査した僕の研究結果でも明らかになっています。

 がんの場合、「もう治らない」と分かってからも、年単位の時間が残ります。逆に言えば、がんによって「予見される死」は、「人生の仕上げ」の時間を与えてくれるといえます。

 昨年10月に膵臓(すいぞう)がんで亡くなったスティーブ・ジョブズ氏は、最初の手術を受けた1年後の2005年に、米スタンフォード大で有名な講演をしました。

 「私は毎朝、もし今日が人生最後の日だとしても、今からやろうとしていることをするだろうかと自問する。もし、『ノー』の日が続くなら、生き方を見直す必要がある。死を思うことが、重大な決断を下すときに一番役立つ。なぜなら、希望やプライド、失敗への不安などは、すべて死の前には何の意味もなさないからだ」

 ジョブズ氏は、亡くなる前日も、現最高経営責任者のティム・クック氏と電話で次期製品の打ち合わせをしたと言います。死に向き合いながらも、やりたいことを続けたその生きる姿勢が、一度は倒産の危機にひんしたアップル社を、時価総額世界一に導いたのだと思います。がんという病気になったことも、彼に世界を変える力を与えたのだと確信しています。(中川恵一・東京大付属病院准教授、緩和ケア診療部長)

2012年1月15日 提供:毎日新聞社